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2013.08.26 過去のニュース

ナオコへの手紙 10

ナオコへの手紙                                 

浅香 洋一

10

階段のおどり場にある大きな姿見。そこを通るたびに、いつも鏡にむかって挨拶をしていましたね。ぷっと頬をふくらませたり、はすに構えて髪をかきあげ ――― 高校生の時は、ハリウッド女優のまねをして、この髪の先が誰それと同じだとか。

鏡にむかって光を映す面は、自分の今のある姿をみせているにすぎません。でも、そこは左右が逆。右手をあげれば、左手で応えます。自分がそこにいながら、自分のおもい通りにならないといった、近似の世界がそこにあります。親しみと同居する怖れ、淋しさが、鏡の向こうの自分に声を掛けたくなる理由なのでしょう。

鏡がまだなかったころの話。羊飼いと、その恋人は村中の人々に美しくて、心根の優しい二人だといわれていました。ふたりは自分の顔も姿もみることはできません。ただ、互いの瞳に映る姿に、尊敬と悲しみを感じとっていたといいます。ふたりがいつもの様に山裾の泉に佇んでいると、泉の精がその娘の美しさに嫉妬を感じ、泉の底にひきずりこんだのです。羊飼いは、水底に沈んだ娘をさがし、毎日まいにち、泉の面をながめ、その名を呼んだのでした。

若者の流した涙と声が、泉の水と同じほど流れた時、なつかしい娘の声がきこえてきました。その声を聞いた若者は、躊躇せず水底に飛び込みました。それ以来、泉は静かにしずかに水をたたえ、空と木々の影を鏡のように映していると言います。

古代オリエントの部屋を出て、人影のまばらになった博物館の階段で立ち止まりました。そこで、僕は大きな鏡をみつけたのです。その面に映ったすがたに声を掛けました。暮れ行く陽の光に目をほそめながら、僕はちょっぴりてれ臭くなって、二本の指を眉にあて、敬礼。そして冷たい鏡面にふれました。

僕の名を呼びませんでしたか。


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