
幼少頃から学問に親しみ、朱子学に造詣深い漢学者棚橋大作と結婚し、愛知県で寺子屋や私塾などを開きました。その後上京して、国立の東京女子師範学校をはじめとして学習院の教師また爵家の子女への指導で活躍しました。
急速に変貌を遂げつつある時代、東京高等女学校(現東京女子学園)の初代校長として65歳で就任しました。「女性は婦徳・良妻賢母だけでなく、知性にもとづいた自らの力で判断し行動する能力を養わなければならぬ」として、100歳まで校長職を務めました。
「ただ書を読み知識を得るだけでは学問とはいえない。学んだ知識を実際に社会で応用し、物事の道理を悟ってはじめて学問と言えるのである、各自がしっかりと自立し、各自の務めを果たすこと、これが社会に貢献することにもなる」と、女性教育に尽力しました。訃報は、ニューヨーク・タイムズにも掲載されました。

棚橋絢子初代校長

初代校長 棚橋絢子先生の授業の様子

棚橋絢子先生 100歳祝い

絢子先生は、書をたしなみ、折々に歌を詠んでいらっしゃいました。学園の史料室には一千首を超す絢子先生の歌や、たくさんの自筆の書・画が残されています。
その中から、長寿を、また新年・梅を主題にした歌をご紹介します。
絢子先生は百歳まで現役の校長をお勤めになりました。写真[1]は百歳になった折に書かれた短冊です。百歳とはとても思えない、しっかりとした筆の運びを見ることができます。

また、絢子先生は倹約を信条とし、実践されてれきましたが、写真[2][3][4][5][6]は包装紙や不要になった紙を丁寧に色紙型や短冊型に切り揃えて、折々に和歌をお書きになりました。[4][5]は縦・横、約五センチ、六センチのおおきさで、残された色紙型ではおおきな部類ですが、実に精緻な筆致で書かれています。


・歌(甲) 中村光雄コレクション